フランスのラスコーという場所がございます。ここは「ラスコーの洞窟」として有名な場所で、その洞窟の壁画は、1万6500年ほど前の氷河期に描かれたものであると考えられており、今も現存しております。
この壁画描かれている「牛の目・鳥人間・棒の上の鳥」のものが有名ですが、その中に多数の「手形」が残されています。
1万6500年もの前から、こうして人間の「手形」を残しているという現実を考慮すると、手の持っている力が如何に当時から認識されていたかという事が理解でき、我々手相学を学んでいる立場からも非常に興味深いものです。
さて、手の力というのは、一般的には文章を書いたり、また「気孔」のように手の力から人或いは物に対して「気」を送るというように、手はあくまで出力するものと考えられがちです。一般的に手は物を創り上げるものとしてのみの認知が広く存在し、そのことで「手=出力媒体」と受け取られているのではないかと考えられます。
ただ実際は、「手」というのは「出力」という機能以上に、「入力」というメカニズムを兼ね備えたものなのです。説明するまでもないと思いますが、視覚・嗅覚・味覚・聴覚・触覚という人間には五感が備わっており、その触覚という部分で大きな役割を果たしているのです。一般の方々は、視覚ばかりに頼り、「手を通しての触覚」を意識されていません。こと出力&入力という点では、目・鼻・口・耳・手というのは、先に挙げた五感にそれぞれ対応するものなのです。
私の知り合いに気孔の先生がいらっしゃいます。また仕事でホームページの作成を手掛けているので、カイロプラクティック等のマッサージ業方々とも親しくさせてもらっています。私は彼等に対しては、手技を使った仕事という共通項がある為、とても興味深いお話をいただくのですが、多くの方々から「毎回、一人のお客さんと接した後には必ず手を洗う」ということです。なぜなら、商売道具である手を清潔に保つという側面以上に、そうしないと(単に汗をかいた以上に)手がベタつき、また症状の重い人に施療を行なった後などは、「手が黒ずんだり、ど~ん重たいものが圧し掛かる様な感覚に囚われる」というお話を聞きます。
実際、私の手相鑑定では勿論、お相手の手を触らせてもらいます。さらに、私が備えている力を用いて、その人の手から自分に伝わるイメージをいただきます。人によっては手から伝わった執着心の様な重い気持ちを受け取る事もあり、鑑定後、頭痛に襲われることもございます。
「外から帰ったら必ず手を洗いましょう」という言葉は、年間を通して聞くことが多いかと思います。この意味は実際には、単に風邪などのウィルスを予防するというだけではなく、外の世界で他の人からの邪心を持ち帰らないようにという意味もあるのです。
手の力というのは、感じる部分と受け取る部分の両方の存在を意識して、初めて発揮できるものなのです。
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