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新興宗教が出現するメカニズム

言葉の第一の目的はコミュニケーションツール(情報伝達手段)であると表現できます。
 
それ故に言葉はその成り立ちからして排他性(見ず知らずの人や価値観が異なる人を除外する)があると言えます。これは「言葉」が誕生した太古の昔から現代に至るまで普遍的なものであり、遠い将来に於いても変わることはないでしょう。
 
例えば、ある特定の業種でしか使わない隠語や、若い女性が仲間同士でのみしか通用しない言葉などが典型的だと思います。
 
また言葉は隠語以外にも、敢えて難解または抽象的な表現として遺す場合があります。例えば、聖書や経典、または六法全書(法律)などに当てはまり、これらも排他性が認められます。
 
以前に流行ったノストラダムスの予言も、典型的な難解かつ抽象的な文章で、これは聖書や経典にも通じるところがあるのですが、現代に於いても多様な解釈を生み出しています。
 
ある時、私は「書き記した言葉を後世に永く遺すにはどうすれば良いか?」というテーマを考えたことがあります。
 
1、普遍的なテーマである(恋・愛・性・天地・生死など)
2、(可能な限り)結論に言及しない
3、ある種の排他性がある
4、直接的ではなく抽象的な表現
5、多様な解釈を生み出す余地がある
 
挙げるとすれば、こんなところでしょうか。
 
「1」と「2」は関係性としては、ある意味当然で「普遍的なテーマ」というのは結論なんて出てきません。それは何時の世も若い人向けに存在している(その時代を反映した)恋愛の歌などを考えれば明らかです。
 
結論を意図的に出さない・・・というのは「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」が作者がこの世を去っても、延々と放送されているのは、結論を出さなかったからであり、この点は、結論(主義主張)を残そうとした手塚治虫漫画とは異なります。後は「朝まで生テレビ」という番組も結論を出さないことでは定評がありますが、番組を長く続けるには致し方ないのでしょう。
 
「3」「4」「5」に関してもそれぞれが密接に関わっています。特に先に挙げた「聖書」「経典」などが典型的だと思います。
 
多様な解釈は宗教に於いて、結果的に多様な宗派を生み出すことにつながり、しかも結論がないので、宗派は増えることはあっても減ることがありません。
 
故に「1」~「5」まで該当する文章は、少なくともハッピーエンドを期待している読み手からすると消化不良となるかもしれませんし、もしもそれを望むのなら、物語の続きを他の誰かに期待するか、または自身で創り出すかのどちらかになるのでしょう。これが新興宗教が出現するメカニズムのような気もします。
 
ただ、結論を知ることによって、その人が幸福になるかどうかはまた別の問題となります。そう考えると、聖書や経典は結論を得るための読み物ではなく、むしろ壮大なる解釈を得るための読み物だと定義できるのではないでしょうか?

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