これまでの人生で、関わった仕事のお陰で本州は青森・秋田を除く全ての都府県を訪れました。
学校を卒業してからの10年は機械製造業で様々な現場仕事を行ない、ホームページ制作の仕事も、東は石川・東京、西は山口とこれも広範囲で、さらに占いの仕事でも、それまでに訪れたことのない場所に伺いました。
様々な場所に伺って感じることは非常に多くありましたが、今回は地名の発音について・・・
関西圏だけでも、例えば・・・
「彦根(ひこね)」
「姫路(ひめじ)」
「網干(あぼし)」
「田辺(たなべ/和歌山)」
これらの共通項は、他の場所から来た人と、地元の人とでは発音が異なるということです。
例えば「網干」という場所、ホームページの仕事でもう100回以上は訪れていますが、未だに「あぼし」の発音が違うと現地の人から指摘されます。
このような場所は、何度も足を運んだ私が肌で感じた点としては、由緒ある歴史的な街で地元のお祭りも盛んであるのと同時に、郷土に強い愛着を抱いている方々ばかりだということであり、一方で他所から訪れた人を容易に受け付けない排他的な特性があるのではないかと感じました。
これは何も先に挙げた場所ばかりではなく、他には京都の住所記載にある「上ル」「下ル」や、大阪であれば「天六」「谷四」「谷六」のように、地元の人でなければ理解できないような記載や略語が一般的に使われている場所も部外者に対する排他性を感じました。
そのように考えると、元々「方言」とは、そんな仲間内同士で認識しあう為の暗号ではないかと思うのです。
私はホームページの仕事で様々な場所に伺いましたが、中でも前任者とのトラブルを抱えたお客様の所に伺うことが多くありました。そんな時に、これらの場所に伺うことがあるとするなら、訪問前日に一夜漬けで、訪問地の歴史、過去から受け継がれた文化やお祭りなどを頭に叩き込んで訪問に臨んだものです。
排他的と呼ばれる地域は、逆に言うと「一度、中に入り込んでしまえば、より強固な人間関係を築ける」ことを意味しており、特にトラブルを抱えたお客様の問題を解決することによって、それが確かなものとなると私は感じています。
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