好意を抱いた人やお世話になった方へプレゼントを贈って、その気持ちごと受け止めていただけるのは、とても嬉しいものです。プレゼントを贈る人も、その喜んでもらえる姿を想像して、何かと思案するのも楽しいものです。これは何れも、誰しも経験されたことだと思います。これは贈りものの形としては、最高の内容です。
私の中では、プレゼントには単純に物を贈るという以外に、優しい言葉や気遣いなども含まれると考えています。それは目上の方からいただいた有り難い教訓や、恋人からいただいた愛情のこもった言葉など・・・それは様々です。人が人に優しく出来るのは、きっとこんなコミュニケーションの積み重ねがそうさせたのではないかと思うのです。
不幸にも私は若い頃、プレゼントを贈ろうとして、それを拒否された経験がございます。今思えば独り善がりな行動で、反省するべき点は非常に多かったのですが、そのプレゼントを持ち帰った寂しさは、今でも消えることがございません。
言葉のプレゼントは目に見えないだけ、もっと受け取ってもらえなかった事の方が多かったと思います。これは過去も、そしてこれからもいつまでも、こんなことは起こりうることでしょう。拡大解釈するなら、人様と会話すること自体が、「言葉の贈りもの」を受け取り合う行為なのかもしれません。
どんな形であれ、贈りものを受け取ってもらえないなら、それは誰のものになるのでしょうか?きっとそれは、捨て去ることがなければ、いつまでも自分のものになるのでしょう。高価な宝石・時計や花束・・・さらには好意的な言葉に、貶める言葉に、辱める言葉・・・受け取ってもらえないなら、それらは全て自分のものとなってしまいます。
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