人様の話をお聞きするのには、いくつかの種類があって、例えば好意を寄せている相手との話では、耳で聞く以外にも、身体全体で聞こうとします。このような経験は誰でもあると思います。
学校で教わった恩師でも、記憶に残っているのは、自分の話を心で聞いてくれた方々です。
身寄りのない海外に単身で訪れた場合、言葉が通じない者同志で、お互いに心の耳でコミュニケーションを図ります。そんな者同志が、割と早く恋愛に至るのも、それは自然なことだと思います。
人は常に、そんな人物との出会いを求めています。
もしも、それが叶うなら、その人のかけがえのない財産になります。
個人の財産とは、心で話を聞いてくれる人が周りに存在していることが最も大切なのです。
心耳という言葉は、これらの所作を表わします。
会話の際に、人の話を途中で切り上げる人物が存在します。例えば「要するに」なんて言葉を多用している人物は、心耳を蔑ろにしているのです。
心耳を蔑ろにすると、心・耳の順番が逆転し、耳・心ということになり、「恥」という言葉になってしまいます。人の話を最後まで聞こうとしない人は、結局は後で恥をかく場面が出てくるのです。
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