この世の中には「目に見えないもの」が多く存在しております。その中でも代表的なものは「魂」ではないでしょうか。「魂」という字は「鬼」が「云う」から構成される文字です。
この世の中に我々が想像するところの「鬼」という存在は、個人的には居ないと考えています。「鬼」というのは、その字の如く「人が大きなお面を被り扮する様(=霊のことを指す)」で、あくまで人が作り出したものなのです。「鬼」の字の下の部分には「人」の字がございます。さらにその横に「ム」という字が添えられ、これは「人」が別の人格・存在に変わった事を指しています。生まれながらの「鬼」なんて存在しないのです。
我々の世界で、周りが見えなくなるほど物事に没頭する様を「鬼気迫る」と表現いたします。この状態の人は何だか近寄りがたい雰囲気を漂わせています。現実に生きている人でも、「鬼」を連想させる存在になってしまうこともあるのです。
「魂」とは、人からその「鬼」と思われるくらいの深いお気持ちがなければ残せないものです。余談ですが、音楽に「ソウルミュージック(soulmusic)」というジャンルがございます。黒人音楽の一ジャンルで、過去に長い間、差別や迫害を受けた彼等の、それこそ血の滲むような経験や気持ちから生まれた音楽なのです。我々、他の民族が上辺だけを真似て表現しても、その「魂」は伝えようのないものなのです。
日本では、記憶に新しい行事として2月3日の節分がございます。だいたいのご家庭では、お父さん・お母さんが鬼に扮し「福は内、鬼は外」とお子さんから豆を当てられているかと思います。これは普段の生活により鬼の存在が見え隠れしている我々大人達が、邪心のない子どもから外に逃がしてもらうもので、普段、それこそ「鬼気迫る」勢いで、必死にお仕事・家事をされている、お父さん・お母さんへの心に安堵感をもたらす、古くから伝わる理に適った大切な行事なのです。
「魂」とは、半端な気持ちでは成立しません。しかしだからといって、私は誰しも「鬼」になってほしいとも考えていません。生活するだけで困難だった先人が、その自然の置かれた過酷な環境の中で、誕生してきた「魂」を我々は大切にするだけで、充分に「我々の魂」も後世に残ってゆくのです。
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